3学期に入りクラスのなかの親密さが深まり、園生活がより楽しくなっている子どもの表情が見られるこの頃です。子ども達は、担任と仲間とすごしてきた1年間にお互いの体温を感じ合うような・呼吸が呼応するような近しい人間関係の体験を積んできました。
小学校以降は学習が中心となりますから、このような密な集団生活は幼稚園時代しかありません。柔軟な感性をもった幼児期だからこそ、温かく守られていた実感・遊びや身近な生活から感じとった「人と喜びを分かち合う」幸福感は無意識の領域に蓄えられ、これからの心の成長を豊かに促していきます。
そして、心の成長に大切な観点のひとつとして、「根拠のない自信」が子ども達にしっかり根付いていってほしいと願います。無意識ながら「自分は大丈夫」と自身を支えていく力になるものです。その一方で根拠のある自信は、縄跳びが跳べた・絵が上手・足し算が出来るなど具体的に出来る事が自信になっていくことです。もちろん、根拠のある自信も大切なのですが、まず「根拠のない自信」があってその上に積み重なっていくものです。たとえば、根拠のある自信は、小学校・中学校と大きくなっていくうちに自分よりも上手な友達がでてくることがあります。
形としてある自信が萎えた時、そこで「僕はもうダメだ。」と思うよりも、素直に「〇〇君はすごい。」と認めながら、それだけでない自分を自由に見つけられる底力になるのが「根拠のない自信」です。
その「自信」は子どもが生まれ傍で養育してくれる大人との関係性から育まれていきます。
乳児は大人の手を借りなければ何もできなくてご両親が昼に夜に大変な思いをされますが、その存在自体が愛らしくてそのままを受け止め、多くを望まず、日々の健やかな成長を心から願っている=無条件の愛情を注いでいらしたと思います。そのうち、子どもの成長とともに大人の要求が先行しがちになり、つい条件付きの承認(〇〇が出来たからすごいね・〇〇するとよい子)が増えてきます。子どもはその期待に応えようと頑張ります。それが過剰になると将来的に心が摩耗していきます。子どもの良い時も悪い時も何気ない時もそのままを承認し、評価するのでなく、ともに喜び・考え、肝心なところはしっかり導いていくような関係性があって、子どもは安心し一歩一歩自立していきます。
年長児は4月より小学校に入学し、大きな節目を迎えます。
きっと、子ども達は興味をもって学びの世界に一歩踏み出していくことでしょう。理屈の世界で頑張っている子ども達を支えるのはご家庭の心の世界です。
最近は大人も子どもも忙しくなり、家族で時間や空間を共有することが少なくなっています。
普段の何気ない日常にその子どもらしさや成長を発見できるものです。大人が気持ちまで忙しくならないように心を広げて向かい合ってあげましょう。
自分を理解し大切にしてくれた人をイメージできる青少年は自分自身を大切にし、人の目のないところでも自分を律する心や努力する意味を抱くことができます。60代になった私の日々にも
折に触れて家族との思い出が蘇ります。胸があつくなる光景は田舎の祖父母が、私たちが乗車する電車の時間に合わせて線路畑にでて手を振って迎え、送ってくれた姿です。
子どもの頃は当たり前のように感じていた毎日に今、深く感謝しています。
学園長 手 塚 映 子
「 子 ど も 」
ドロシー・ロー・ノルト
(米国の教育学者)
批判ばかりされた子どもは、非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは、力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは、ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは、鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは、自信をおぼえる
寛容にであった子どもは、忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは、評価することをおぼえる
フェアープレーを経験した子どもは、公正をおぼえる
友情を知る子どもは、親切をおぼえる
安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じとることをおぼえる